宮城県東松島市を訪れて・・・ |
私は「ボランティア」という言葉が好きではありません。
何か「善意の押付」的なにおいがするので、個人的には好みません。
人を救うって生半可な気持ちじゃ出来ないこと。
救いたくても救えない悲しさがあり、自分の無力さを思い知らされる場合もあること。
自分が考える「良いと思うこと」は、必ずしも相手にとっても「良い」ことではないこと。
空手部でとことんまで学びました。
「自分の目で見て、肌で感じる」ことが目的だったので、感じたままを書きたいと思います。
NPOでの活動(カキ養殖のためのホタテの貝殻清掃作業とロープ作り)の後、現地スタッフのお母さんが語り部として、東松島市を案内して下さいました。
東松島市には、10mの津波が7回も押し寄せたとのこと。
瓦礫の片付けは進んでいて見た目は復興が進んでいるように見えるが、海水が入った田畑には作付けが出来ないまま。
仮設住宅に住んでいる方もまだまだ沢山いる。
ご自身も旦那さんと2人、津波警報で着の身着のまま非難したのこと。
でもその時は、「津波が来てもそんなに酷いことにはならない。すぐに家に戻れるだろう。」と思って、色んなものを持って逃げなかった。
高台で押し寄せる津波を見て、「まさかこんなことになってしまうとは・・・」と、ただただ涙を流すしかなかった・・・と言われていました。
「息子さんの小・中・高校の卒業アルバム・・・、生まれた時の写真から、大事なものすべてが、一夜のうちに一瞬にしてなくなってしまいました・・・」
自分が彼女の立場だったら・・・ことばがでませんでした。
何も言えません。
ことばになりません。
「頑張れ」なんて絶対言えない。
橋が落ちて沈んだままの車。
人と瓦礫が津波で渦を巻いていたという小学校の体育館。
多くの仮説住宅。
小学校の3階に避難したのに、家に大事なものを取りに帰ると、妻の制止を振り切って津波にのまれた男性。
園児を抱えて逃げたという保育士さん。
復旧の見込みのない線路。あの日のままの野蒜駅。
真新しさが目に付くお墓。
改めて、まだまだ復興は進んでいないことを実感。
東京にいると、風化というか、どうしても肌で感じることがなくなってきている。
実際自分の目で見て、肌で感じたことは、強烈でした。